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【対談・前編】個性が活きているから面白い。森ビルnote、3年目の作戦会議

2023年4月、森ビルnoteは2周年を迎えました。そして立ち上げの中心人物である伊藤編集長が、1年のブランクを経てカムバック。3年目のスタートを機に、2人の歴代編集長が揃い、2年間にわたる試行錯誤や森ビルnoteの今後の方向性について語りました。

伊藤 優香|Yuuka Ito(写真右)
2010年森ビル入社。経理部にて税務や決算業務を担当後、タウンマネジメント事業部へ異動。マーケテイングコミュニケーショングループにて、エリアマガジン「HILLS LIFE」やヒルズのプロモーションに携わる。2016年より広報室へ。企業広告や報道対応を担当し、2021年森ビルnoteを立ち上げる。

山崎 雅道|Masamichi Yamazaki(写真左)
2009年森ビル入社。資産管理活用部、オフィス事業部を経て商業施設事業部へ異動。六本木ヒルズの商業施設運営に携わったのち、2020年広報室へ。社内報の運営やSNS運用を担当し、現在は報道対応を担う。



森ビルnoteを立ち上げた理由。都市の未来を考えるために


―2021年4月、都市づくりに関わる「人」に焦点を当てた森ビルnoteがスタートしました。どのような経緯で立ち上げようと思ったのでしょうか?

伊藤:noteを始める前から、森ビルのSNSを担当していました。その中で「誰に何を伝えるべきか」、ずっと掴みきれずにいたんです。六本木ヒルズや森美術館、またオフィスや住宅など各施設や事業部では、それぞれのお客様に向けたSNSやオウンドメディアを独自に運用しています。だとしたら私たちは、誰に向けて伝えるべきなんだろう、って。またコーポレート広報を担う私たち広報室の基本的な役割は、会社の事業や経営に関する情報発信です。そういった情報とカジュアルなSNSの、相性の悪さに対する悩みもありました。


伊藤
:そんな中でパンデミックが起こったんです。世の中からは、「オフィスは不要では」「都心に住む必要はないのでは」という声が聞こえるようになりました。プライベートでも周囲の友人がそんなことを話していたり、仕事でもメディアから問い合わせが続いたり。
 
そうしたムードの中で、当時の私はこう考えていました。きっとこれからは、全員が一つの価値観の下で生きるのではなく、住む場所も、働く場所も、個人の価値観でデザインしていく時代になるはず。「住まい方」「働き方」「学び方」「憩い方」…。森ビルには、都市の様々な要素を考え、突き詰めて向き合っている社員が大勢います。それらの社員にクローズアップして、「これからの都市生活者が、都市の在り方を考えていく」ためのきっかけとなる場をつくれないだろうか。あれ? これって私たちのSNSにぴったりでは? と。

―数あるSNSの中で、noteを使おうと思ったのはなぜですか?

伊藤:都市の未来を共に考えたい。そう思った時に、noteの中にはこれからの都市や東京のことを考える人、考えたい人がいるんじゃないかと感じました。それに、プラットフォームを「街」、ユーザーを「住人」と呼んでいるのもいいなって。noteという街に、私たちも小さな1つの街をひらけたら面白いなと思って選びました。


まずは固めて、そこから広げて。試行錯誤の2年間


―これまでの2年間は、どのように運営してきたのでしょうか?

伊藤:まずはアカウントの性格や価値観をしっかり固めたいと思い、1年目は敢えて社内の人間だけで運用していました。そうしていくつかの記事をつくったところで、私たちがやろうとしていることに共感してくれる外部パートナーと出会い、2年目から編集部に入ってもらっています。
 
というものの、立ち上げから5ヶ月目に私が産休に入ることになり、コンテンツはつくりおきながら、実質1年目の途中から山崎さんが全体をみていました。
 
―当時の山崎さんの率直な想いを教えてください。
 
山崎:どのように運用していくか考えるにあたり、noteという媒体の理解を深めなければいけないと思いました。元々個人でもSNSに触れることがほぼなく、noteの存在も伊藤さんから聞いて初めて知ったぐらいでしたから。なのでそこから、書籍を読んで運用事例を把握したり、他社の企業noteを読んで、どういう記事が共感を集めるのか研究したり。また、編集長のバトンを渡される前は、伊藤さんの下で実際に原稿を書いて、チェックしてもらっていました。


―山崎さんは元々プレスリリースや社内報を書いていたそうですが、noteの原稿を書く際どのような点に苦労しましたか?

 
山崎:noteの場合は、その文章によって読者からの共感を得られるかが重要です。僕がこれまで書いてきたプレスリリースや社内報といった文章は、これまでにない新しさにフォーカスしたり、社会課題や時流に合わせた切り口を設定するなどの工夫をして、「ニュース」を届けるものでした。そこに読者の共感を集めることはあまり求められません。最初はそのギャップに馴染めず、大変でしたね。
 
原稿を書いてみても、つい会社を主語にしたくなり、人を主語にして書くことが難しくて。どうしてもその人らしい「匂い」が立たない文章になってしまうんです。初めての担当記事は平野万紀子さんだったのですが、初稿を上げた時は、伊藤さんから「なんか違うんです。この文章では共感を呼べないです」って戻されました。今思えば、根っこの部分の理解が浅かったんでしょう。


―「違う」と言われた時、実際にどういったすり合わせがあったのでしょう?

 
山崎:伊藤さんから「個人の想いとか、考えや性格みたいなことが、ちゃんと匂い立つ感じのものにしたい」と教えてもらい、地道に何度も書き直していました。それと同時に、森ビルnoteをスタートさせた目的など、根っこの深い部分を咀嚼して。そうしていくうちに、アカウントのトーンを自分なりに理解していけたような気がします。


―「固める」フェーズだった1年目。取材対象者はどのように選んでいましたか?

 
伊藤:元々3人で立ち上げたのですが、それぞれが面白いと思う社員のリストを持ち寄って、ワーッとみんなで検討して、という感じで決めていました。でもそこに方法論はなく、ほぼ嗅覚頼りでした。ですが振り返ると、「都市に対する課題意識を持つ人」「こうありたいという信念がある人」「都市の未来を考えるきっかけになりそうな独自の視点がある人」といった特徴を持っている人が、リストに上がっていたと思います。
 
―伊藤さんが伝えたいことを伝える上で、最初のうちは嗅覚を働かせて人選していくことは必要なことだったのかもしれません。記事をつくる上での苦労はありましたか?
 
伊藤:最初の記事(『森ビル公式note、はじめます!』)で何をやるアカウントなのか、所信表明を書いた時はすごく苦労しました。何を軸にして語るのか、なかなか定めきれなくて。草稿は軸を変えていろんなバージョンで書いていたのですが、会社のSNSであると考えた時に、冒険しきれない自分もいました。
 
森ビルは言葉を大切にする会社だと思うのですが、個人の物語を出すということは、今まで会社としてあまりやってこなかった、新しい言葉や情報が出ていくということです。それは結構チャレンジングだなと思って、やりたい、やるべきだという気持ちと心の中で綱引きをしていました。
 
でもそれを見ていた上司が、そんな私の葛藤に気づいて背中を押してくれたんです。原稿を見比べながら、「軸は人なんだから、やっぱりそれをしっかり書くべきじゃないの?」と明確に言ってくれたことで、腹をくくれたと思います。


―個別の記事をつくる上では、どんな難しさがありましたか?

 
伊藤:どの記事においても、この内容は出してよいのか? と都度悩み、模索していました。例えば伊藤佳菜さんの記事では、「『夜』が肩書や役割を取っ払って自分を自由にしてくれたこと」「人が自分らしく生きられるために都市の『夜』のあり方を変えていきたい」という彼女個人の視点をそのまま伝えました。
 
日本では夜遊びは危ない、下品というイメージもあり、さらに当時はコロナ禍で、ことさら「夜の街」に対する目線が冷たかった。その中で記事を出すべきか迷う部分もあったけれど、「夜」と真正面から向き合う真剣さや切実な想いは、伝えたいし、伝えるべきだと思いました。そのうえで、最後は彼女自身が「そういう今だからこそ夜の価値を伝えたい」と言ってくれて、公開に踏み切ることができました。

立ち上げ当初のメンバーには、今も人選など相談にのってもらっています


―2年目からは「広げる」フェーズに移行。人選では何を意識されていましたか?

山崎:好きな分野や得意分野に明るい人であることを意識しながら選んでいましたね。社内でも都市づくりにおいて「人」が最も重要だと言っていて、都市のありようは、開発であっても、運営であっても、誰がやるかで変わってきます。都市づくりに宿る個人の視点をいかに引き出すか。それが大事だと思い、進めていました。企業の公式アカウントでもあるので、会社として伝えるべきトピックも意識しながら、その中に本人の個性が光る面白いエピソードはないか、仕事や活動の原動力となる部分は何かといったことを、重点的に取り出すようにしていました。
 
例えば加藤昌樹さんの記事は、最初は単純に会社として打ち出したいトピックと重なっていたことから打診したんです。ですがヒアリングをしてみると、虎ノ門ヒルズ ステーションタワーの事業を一緒にやっていたUR都市機構さんが本人のかつての職場であること、そして意外にもおばあちゃん子で「高齢者でも小さいお子さんでも、安心して歩ける都市空間が必要」という想いがプロジェクトに投影されていることを知りました。それまで担当してきた広報の仕事だけでは知り得なかった、当事者の発想の原点に触れられたことで、僕自身も「面白い記事になる」という期待を抱きましたね。


―記事をつくる上では、どのようなことを意識されていましたか?

 
山崎:取り組みを淡々と説明してもらうだけでは、プレスリリースと同じになってしまいます。なので、その人がどういう想いをもって仕事を進めていったか、そこに至る原体験を掘り起こし、つなげて見せていくことが重要なのかなと思っていました。


目の前のひとりに刺さる熱量がなければ、万人には伝わらない


―2年間の運用を経て、読者層に変化はありましたか?

 
山崎:当初は読者の半数以上を森ビル社員が占めていましたが、最近はGoogle検索からの流入が徐々に増えてきています。直接的に森ビルと関わりはないけれど、都市そのものや、都市づくりという仕事に興味を持って読んでくれる人が増えてきたという実感がありますね。
 
―感じている課題はありますか?
 
山崎:外部の人にもっと読んでもらうためにどうするか、考えていく必要があると感じています。同時に、読んでくれた人の行動変容があるといいなと思っていて。読者との関係性は今も少しずつ積み上がってきていると感じていますが、そういったものがもっと積み上がり、さらにその様子が捉えられるといいなと。もしかしたら、実際は起きているけど把握できていないという可能性もあるので、どうしたら読者の反応を正確に捉えられるのか、しっかり考えられたらいいと思います。


―寄せられた反響には、どのようなものがありましたか?

 
山崎:この間は、営業部の社員から「社外の方とのコミュニケーションの前段階として、自分たちを知ってもらえるツールとしてすごくいい。今度うちの営業担当者を取り上げてくれないか」と言われたりしました。記事に登場した社員に聞くと、お手紙やメールが寄せられることもあったそうです。採用活動との相性も良く、入社試験のエントリーシートに「森ビルnoteの誰々さんの記事を読んで、ぜひこういう仕事をしたいと思いました」と書いていただいたこともありました。
 
伊藤:私は反響云々の前に一度抜けてしまったので、不安も大きかったんです。でも戻ってきて山崎さんに聞いたら「すごく好評だよ」といろいろな事例を教えてもらって。ものすごくほっとしました。
 
―生み出したメディアの成長を実感できるのは、とても嬉しいことですよね。
 
伊藤:はい。立ち上げの時に目指していた、1対1のコミュニケーションができていたんだなって。「目の前のひとりに刺さる熱量がないんだったら、絶対に万人には伝わらないよね」と、半ば自分たちを奮い立たせるように言っていたんです。まだまだ数は多くないかもしれないけれど、そこにはちゃんと、熱量の交換が起きていたんだなって。
 
 
▼後編へ続く



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