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誰もが通い続けたくなる「シームレス」な街づくりを目指して

今回お話を聞く加藤昌樹さんは、道路や駅などの都市インフラと一体になった街づくりを長年手がけてきた、その道のエキスパート。近年は虎ノ門ヒルズエリアで駅・まち一体の再開発を進め、行政はもちろん、事業パートナーなど、さまざまな立ち位置の人びとと関わりあいながら計画を進めています。加藤さんは、どのような想いで人びとが通い続けたくなる街づくりを実現してきたのでしょうか? インフラと一体になった街づくりをするうえで、大切にしていることが語られました。

加藤昌樹|Masaki Kato
2008年森ビルに中途入社。大学で土木工学を学び、2001年都市基盤整備公団(現・都市再生機構)入社。再開発や道路・駅前広場などのインフラ整備に携わる。その後、都市インフラと一体となった街づくりを進める森ビルへ。現在は主に、虎ノ門ヒルズ ステーションタワーの計画策定、行政や関係者との調整などを担当している。

故郷で育まれた「三方よし」の精神

江戸時代、近江(現在の滋賀県)の商人が大切にしていた、買い手よし、売り手よし、世間よしの「三方よし」の精神をご存知でしょうか。これは、自らの利益だけを求めるのではなく、多くの人に喜ばれることをすることで、信用を得られるという経営哲学からきているもの。滋賀県で生まれ育った私の根底にも、両親や祖父母の姿を見て「三方よし」の精神があるのかもしれません。

そして建築関係の仕事をしていた父の影響もあり、建築や土木を身近に感じていた私は、大学で土木工学科を専攻。最初は橋梁設計に興味を持っていましたが、次第に再開発や街づくりに興味が広がり、「誰もが安全で快適に暮らせるように、インフラの整備とともに街づくりをすることで社会に貢献したい」という夢を抱くようになっていきました。

「街なかで道路を渡っているお年寄りを見かけると、『大丈夫かな』と放っておけない気持ちになる。それはきっと、幼い頃からおじいちゃんっ子、おばあちゃんっ子だったからでしょうね。それが今の街づくりへの想いにつながっているのだと思います」

大学卒業後は都市基盤整備公団、現在のUR都市機構に入社しました。国土交通省に出向していた時期もあり、そこで水害を受けた地域の災害復興に携わりました。被災状況を確認しに現地へ向かうと、自分の背丈以上のところに水が上がってきた跡が残っていたり、重い冷蔵庫や家具がひっくり返っていたり。ほんの少し前まであたり前だった生活が一変していました。現地を目の当たりにして感じたことが、自分の中に大きな影響を及ぼしていると思います。そして被災された地域の方々にとって、いつも通りの日常生活を送れることがどれだけ大切なことかを感じて。「あたり前の幸せや日常を持続できる街づくりをしなければならない」という責任を強く感じるようになりました。

こうしてインフラ整備と一体になった街づくりの仕事をしていくうちに、地方公共団体やURだけでなく、民間企業でもインフラと一体となった街づくりを行い、開発するだけなく運営まで行い、その街を育てている企業があることに気がつきました。それが森ビルでした。実際に森ビルの人と話をしてみると、すごく真面目な人が多い印象を受けました。そして、権利者の方々や行政の方々と丁寧に対話を重ね、地道に調整していこうとする姿勢に共感を覚え、森ビルへの転職を決めました。

道路・駅・まちが一体となった再開発で鍵となった「信頼関係」

現在私は、「虎ノ門ヒルズ ステーションタワー」(2023年7月竣工予定)の計画策定、行政や関係者との調整を主に担当しています。

施工中の「虎ノ門ヒルズ ステーションタワー」の前で
虎ノ門ヒルズエリアでは、2020年に開業した虎ノ門ヒルズ駅をはじめ、環状2号線、バスターミナル、地下鉄駅をつなぐ地下通路や歩行者デッキなど交通と連携した都市開発が進み、歩きやすいウォーカブルな街づくりが進んでいる

道路や鉄道と連携し、計画されたこの大規模なプロジェクトは、多くの権利者との共同事業。行政はもちろん、駅整備の事業主体であるUR、設計・工事を受託する東京メトロとの連携を密に取り、信頼関係を築きながら進めていく必要がありました。

関係者間で虎ノ門ヒルズエリアの課題を議論している中で見えてきたのは、今までにない、駅・まち一体となった地下鉄駅の広場をつくり、さらに街の様々な要素をシームレスにつなぐことの必要性でした。歩行者の動線をわかりやすく、快適にするためにはどうすればよいのか。バリアフリーで、誰もが安心して利用できるシームレスな街にするには、なにがあればよいのか。そんな課題を解決する方法を道路・駅・まち一体で考えていった結果、東京メトロ日比谷線虎ノ門ヒルズ駅の地下駅広場や、高低差を活かして歩車分離を図るためのデッキ等、新たな都市インフラを整備するというプランに至りました。

地下駅広場イメージ。暗く、わかりづらくなってしまう地下空間を、本計画では、改札のある地下2階から地上1階までの3層吹き抜けの広場とし、さらに、地下1階のプラットホームの壁をガラススクリーンにすることで、自然光が地下に降りそそぐ明るく開放的な空間に。また、地下から地上への直感的な移動を可能にし、地下と地上、駅とまちをわかりやすくシームレスにつなげられるようにしている
施工中の虎ノ門ヒルズ ステーションタワー。面する桜田通り(国道1号線)は道路の幅が広く、交通量も多い。重要な交通インフラとして役割を果たす一方で、街を分断してしまうという課題を解決するため桜田通りの上空に東西をつなぐ広場状のデッキを新設することに

地下でありながら地上の光が降り注ぎ、鉄道利用者と街を往来する人びとが互いに存在を感じられる地下の駅広場はもちろん、桜田通りの上に広場にもなる幅約20mのデッキを設置することも、今までにない試みでした。

道路というのは、いわば都市の軸となるもの。みんなが使うからこそ、都市や街とのつながりも意識しなければいけない。そして地域の人に安心を与え、愛されるものであってほしい。そんな想いとともに「駅と病院など周辺のさまざまな施設や広場などを安全につなげる、広幅員のデッキをつくりたい」と提案しました。その結果、行政側からも共感をいただいた。とはいえ都内の国道に広幅員のデッキをかけることは、行政側にとってもおそらく初めての試みです。デッキをかけることでどのように地域に役立つか、安全性は高いのか、管理はどうするか、どのように活用していくのか……公共性や安全性などについて、行政側と丁寧に議論を重ねながら、実現の方法を探っていきました。

虎ノ門ヒルズ ステップガーデン
「木漏れ日が心地いいステップガーデンを登っていくと、オーバル広場へとたどり着きます。これまではそこで道がストップしていましたが、ステーションタワーとつながるデッキが完成すれば、駅はもちろんその先にある虎の門病院にも、誰もが安全に歩いていくことができます」

そうして行政の人たちと密なやりとりを続けていると、森ビルへの信頼感の強さを感じます。私たちの仕事はいわば究極の「地場産業」。特に森ビルは、長年にわたって、港区に軸足をおいて街づくりをしている。建物を建てるだけでなく、そこでの人々の生活を想い、ずっとその地域と共にあろうしている。それを先輩方がアークヒルズや六本木ヒルズ、虎ノ門ヒルズなどの再開発で積み重ねてきた。だからこそ行政にも「森ビルは絶対に逃げない」という安心感があり、大胆な提案にも耳を傾けていただけたのだと思います。私自身もその信頼を引き継ぎ、さらに後輩へと信頼を継ぐために“信頼の貯金”をためていきたいし、行政や地元の人の信頼を大切にしていきたい。そんな想いが、働く中で一層強くなっています。

真面目に、大胆に。人に優しい街づくりを目指して

「虎ノ門ヒルズ ステーションタワー」も完成間近。もうすぐデッキの施工が始まると考えると、社会人1年目に担当した駅と再開発エリアをつなぐデッキ整備のことを思い出します。そのデッキが開通した次の日、そこへ行ってみると、以前からあったかのように当たり前に人々が利用していたんです。その光景は前日の開通セレモニーよりも強く印象に残り、同時に「自分のやっていることが多くの人の日常に溶け込んでいくのだ」ということをありありと実感しました。その経験が、自分の追求する街づくりの根幹をなしています。

「一緒に仕事をする仲間には、みな諦めない精神がある。だからこそ自分も地道な努力を続けていくことができます」

年配の人や小さな子ども、ベビーカーを押す人、車椅子に乗る人が行きたいと思えるか。自分が足を怪我したり、目が悪くなったりしても行きたいと思えるか。昔も今もこれからも、私が目指すのは年齢を重ねても通い続けたくなるような、誰もが安全で快適に暮らせて、生き生きとつながり合える街をつくり、育むこと。

誰が、どのような状態であっても、行きたいと思い立ったら気兼ねなく行けるようなシームレスな街にしていきたい。そういう街であれば、きっとたくさんの人で賑わうでしょうし、エネルギーがあふれ、いろいろな物事の中心的な存在になっていくと思うのです。これからも、みんなの日常を下支えする仕事を真面目に、そして大胆にしていき、次の世代へとバトンをつなげていきたいですね。

加藤さんの「未来を創る必須アイテム」

「ボールペン」
打ち合わせ内容をメモしたり、考えを紙に書いて課題を整理したりするために、ボールペンは常に持ち歩いています。自分の手で紙に言葉や図を書いて思考をまとめる。結局、それが一番しっくりくるんです。