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誰もが自分らしくいられる、都市の「夜」を創りたい

会社、家族、学校、性別、年齢。私たちはいつも、何かのカテゴリーに属している。誰かと接するとき、意識せずとも意識してしまう。こういったカテゴリーは安心感を与えてくれる一方、私たちを縛り窮屈にすることもある。「お兄ちゃんなんだから泣かないの」「母親なんだから」「もうこんな年齢なのに」

伊藤佳菜さんも、そんな様々な枠組みを窮屈に感じていた。そんな彼女を救ったのは、「夜」だった。

伊藤さんは今、誰もが自由にいきいきと過ごせる都市の風景を作るために、虎ノ門の街で、夜のあり方を見つめなおしている。

生きづらさを感じた20代

大学を卒業して、一番入りたかった会社に入社して。当時は森記念財団という都市の研究・調査を行う組織に出向していて、世界中の都市を飛び回っていました。周りから見れば充実していたかもしれません。でも20代後半に差し掛かった時、なんだか生きづらさを感じるようになってしまって。
入社以来、目の前の業務に忙殺される日々。それでも会社のために頑張るんだ、と自分を押し殺していました。

同世代はみんな責任のある仕事を任されたり活躍するようになっていって。結婚して、子ども持つようになって、自分だけが取り残されているように感じていました。

一方で周りの話題といえば、仕事の愚痴やパートナーに対する不満が多くなっていって、正直、すごくもやもやしていました。みんな会社や家庭から与えられた役割のために、色んなことを我慢してるのかなって。

会社のために働いて、誰かと結婚して、子どもが生まれて。それこそが幸せだみたいな固定観念が本当に窮屈で。だって表面的なステータスだけではその人が幸せかどうかなんて分からない。それなのにそんな枠に当てはめようとする社会のプレッシャーに、耐えられなくなっていたんだと思います。

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夜は自分が自分らしくいられた

そんな時、私の唯一の居場所が夜でした。昼間とは違って、夜に出会う人たちはみんな「森ビルの」私でもなく、「20代後半女性の」私でもなく、一人の人間として私を見てくれた。私が何者であるかなんて誰も気にしていないような場で、自分が自分らしくいられた。

夜って昼間の肩書とかポジションを脱ぎ捨てて、人と交流して繋がることが出来る場だと思うんです。様々な枠組みに馴染めず生きづらさを感じている人も、夜ならもう少し自分らしく自由でいられる。

一方、日本社会では、夜といえばギラギラした世界、夜遊び=危ないもの、下品なもの、みたいな価値観がいまだに根強い。夜にはいろんな顔があって、それぞれに価値があるのに、みんなそのことに気付いていない。というか目を逸らしている。この現状をどうにかしたいと感じていました。

夜に関わるチャンスが巡ってきた

そんなことを感じていた時に、都市政策企画室という政策提言や規制緩和の行政協議を担当する部署に異動しました。

当時、風営法の改正や、オリンピックの開催、インバウンド需要の増加など、さまざまな要因が後押しとなって、国として日本の夜を盛り上げていこうという「ナイトタイムエコノミー」の機運が高まっていました。

実はこのナイトタイムエコノミー推進の動きに、当時の上司が関わっていました。様々な意見に耳を傾けながらも熱く想いをぶつけて、時に闘いながら社会の動きを創っていく上司の姿がかっこよかった。私も力になりたいと、この仕事にのめり込んでいくようになりました。

夜の文化的な価値を可視化する

ただ、この流れにおける関心の中心は圧倒的に夜の「経済的価値」でした。一方で個人的な経験から、夜にはそれ以上に色々な価値があると思っていたんです。人と人が立場を超えて交流する場としての「社会的価値」や、新しい文化が生まれる場としての「文化的価値」。こういった側面にも目が向けば良いと思っていました。

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そんな時、観光庁で「Creative Footprint(以下、CFP)」という調査を東京でやるから、協力してほしいと声がかかったんです。

この調査は、観光という観点から経済的な側面ばかりが注目されがちな都市の夜について、さまざまな文化が生まれ表現される場所としての文化的な価値を見出し、可視化することを目的とした調査で、ヨーロッパで始まったものです。

“You can be the bridge.”

まさに私の関心と合致していたので、やりたい!と思ったのですが、実際にはディベロッパーがこの調査に入ることに対して、懐疑的な声もありました。クリエイティブ・コミュニティと都市開発は、対立構造で語られることが多いからです。都市開発によって賃料が高騰し、クリエイティブ・コミュニティが街の外に追い出されるといった現象は世界中の都市で起きています。

街を創るディベロッパーは、ある人達からしたら街を破壊する敵なのかもしれない、と悩んでしまいました。

それでもこの調査に関わることになったのは、CFPの考案者であるルッツ・ライシェリングさんの言葉がきっかけです。彼はベルリンで行政とクリエイティブ・コミュニティの間を繋ぐ仕事をしている人で、そんな彼がディベロッパーに勤める私に対して何を言うのか。正直ドキドキしていたんですが、「君なら両者をつなぐブリッジになれるよ(You can be the bridge.)」と言ってくれました。

この言葉が人生の転機だったように思います。「私自身」がどんな価値をもたらせるのか。都市開発とクリエイティブ・コミュニティ、メインストリームやアンダーグラウンド、さまざまな枠組みを超えて、自分が懸け橋になる。もやもやが晴れて、やりたいことが明確になりました。

■CFP 調査結果
https://j-nea.org/w/wp-content/uploads/2020/04/CFPTOKYO.pdf

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虎ノ門の街で夜のあり方を創造していく

結局プロジェクトマネジャーという立場で、がっつりこの調査に関わりました。そしてCFPの完成後、入社当時から希望していたタウンマネジメント事業部に異動になりました。今は森ビルの新規プロジェクト、主に虎ノ門ヒルズエリアの街づくりについて考えていますが、この街だからこそ輝く夜の価値を創りたいと思っています。

例えば「グローバルビジネスセンター」を目指す虎ノ門ヒルズエリアでは、夜の社会的な価値が重要だと思っています。自分自身、夜という場所で肩書きや立場を超えて色々な人と出会い、それが仕事につながるような経験が多くありました。

働く人たちのライフスタイルの中に、それぞれが自分らしくいられる夜を創りたい。それを通じて、東京の夜のあり方を変えていきたいし、人々の夜に対する認識が変わっていけばいいなと考えています。

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新型コロナウィルスが世界中を襲い、日本では特に「夜の街」が名指しされるなど、東京の夜を担ってきた人たちが未だ苦境に立たされています。
私を救ってくれた夜という場所は、絶対に不要不急なんかじゃない。私に何が出来るのか分からないけど、この想いと信念を捨てずにいたいなと思います。

住んでいる人も、働いている人も、訪れる人も。街に関わる全員が、もっと自分らしく、もっと幸せな生き方ができるように。

街創りを通じて、夜のあり方を変えていきたい。簡単なことではないけれど、私は私らしくチャレンジし続けていきたいです。

本文中写真4枚目:出典『Creative Footprint TOKYO』

伊藤 佳菜|Kana Ito
2013年入社。建物環境開発事業部、森記念財団都市戦略研究所出向、都市政策企画室を経て、2020年よりタウンマネジメント事業部。虎ノ門ヒルズエリアの新規プロジェクトにおけるタウンマネジメント・エリアマネジメント計画を担当。虎ノ門ヒルズ ビジネスタワーに入居する「CIC Tokyo」から配信する「CIC LIVE」では、ラジオパーソナリティにも挑戦中。