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地元・福井の原風景を未来のヒルズに重ね合わせて

都市と田舎。街づくりの議論では、このような二元論がしばしば登場する。どちらが優れているのか?どちらに暮らすのが幸せなのか?一見相反する2つの世界を前にして、私たちは比較し、優劣を付けたくなってしまう。

設計部の清水一史さんは、地元福井のような”人と自然の関係性”を、東京の都心に生み出したい、と言う。豊かな自然と共に育った彼は、都市と田舎の重なりの中に、どんな未来を描いているのだろうか。

大自然が遊び場だった幼少期

僕が生まれ育ったのは福井県の敦賀市という場所で、田園風景が広がるのどかな街です。実家は特に田舎にあって、最寄りのコンビニは2km先。家の周りも一面田んぼで、家族を含め街の人ほとんどが兼業農家。切り立った山から川が海に注ぎ込む扇状地が僕の原風景で、とても美しいんです。

そんな大自然の中、一面に広がる田んぼの畝の間を走り回ったり、川で魚を突いたりして遊んでいました。獲った魚は天ぷらにして食べてましたね。今思えば、とても豊かな幼少期だったと思います。

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豊かな原風景を残したくて、建築と土木を学んだ

その後、大学進学を機に金沢に出ました。専攻は「環境デザイン」。建物について考える「建築」と、道路や橋などの公共施設を作る「土木」の2つの分野にまたがって学ぶような学科でした。この学科を選んだのは、地元の美しい原風景を残したいという思いが強く影響していたように思います。

まず、高校生の頃に実家が建った経験から、建築に興味があったんです。一人親方で家を建てる過程を間近で見るのが面白くて。

一方で家を建てる過程は面白かったのですが、自分が家をはじめ建築の設計だけを仕事にして生きていくかというと、そこには違和感がありました。やはり、自分が生まれ育った原風景を残したいという思いも強くあって、周りの環境を含めて、人の居場所を考えたいという気持ちがありました。

新しくできるものと、もともとあるものをどう調和させていくのか。街には常に新しい建物が建つなかでその両方を考えることが、原風景を残すことに繋がると思っていました。

東京の再開発を体験してみたい

大学院に通っていた頃、ちょうど北陸新幹線が開通して、金沢の街がみるみる変わっていきました。観光客が増え、新しいお店もできていく。その変化量には目を見張るものがありましたね。そして駅前では再開発が進みました。地元の敦賀市でも新幹線の受け入れ準備が進んでいました。慣れ親しんだ街の変化を肌で感じ、再開発とは、街を興し、残していくための手段なんだなと、意識するようになりました。

一方で、地元の再開発の中には、それまでの土地の歴史や地域住民の想いに配慮せず、誰にも使われなくなってしまったものもあって。できることなら、そのまちに暮らす人、働く人、訪れる人のために工夫が凝らされた街づくりを東京で学んでから地元に戻ってきたい。そんな風に考えるようになり、東京のディベロッパーで働くことを決めました。

人を中心に街をつくる森ビル 地方も手がけているのが魅力的だった

ディベロッパーの中で森ビルが特に魅力的でした。森ビルが作る街は、しっかりデザインされ洗練された建物の中に、働く人もいれば、住む人もいて、アートや庭園の前でボーっとしている人もいるなど、人を中心に街を作っている印象がありました。さらに、「森ビル都市企画」という地方の再開発のコンサルを行っている関連会社があり、森ビルには、東京の再開発と、地方の再開発の両方に携われるチャンスがある。東京の街づくりの中で蓄積した多くの引き出しを活かしながら、地方でもその街にとってより良い街づくりを行えるのではないか。僕の地元福井県にある曹洞宗の大本山永平寺の再構築プロジェクトにも携わっていることも手伝って、入社を決めました。

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再開発が生む広場や公園をどう設計していくか

入社後は、現在も所属する設計部の外構担当に配属されました。ここでの仕事は主に二つあって、ひとつが再開発区域内の外構設計、いわゆるランドスケープデザインと呼ばれるもの。もうひとつが公共施設工事で、再開発に伴って整備する公園や道路、地下通路などの設計です。

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虎ノ門ヒルズ ビジネスタワーでは、まさにこの両方を担当しました。再開発に伴って整備した公共施設でいうと、港区の西桜公園があります。

普通、公共施設は全国で細かくルールが決まっていて、何もしなければ行政の方針で標準的なものができ上がります。一方再開発では、行政と事業者であるディベロッパーが協力し、地域の方の意見を伺いながら整備することが求められており、この西桜公園も再開発組合や森ビルが主体となって、整備を進めました。

ディベロッパーがともに作る港区の公園

公共施設はもともと地域の住民のためのインフラです。ディベロッパーが一方的に作りたいものを作っても、地域住民の想いが込められていなければ、誰にも使われなくなってしまう。

なので西桜公園を作るときも、地域の方々と何度も対話を重ねました。町会長さんから「ここにはもともと桜川という川が流れていて、桜がたくさん咲いていた。だからいまも桜川町会という名前が残っている」という話を聞きました。そこで、当時の風景を蘇らせようと桜を植えることが決まるなど、実現できることはなるべく取り入れました。

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新しい街が出来たときに、周りの街とのつながりやその土地の歴史にしっかり目を向けないと、誰にも使われなくなってしまう。そういった意味で、再開発における公共施設って、再開発と周囲の街の大事な接点だと思っていて。

誰かが一歩踏み出して、街の歴史や想いを汲むことで、地域の方々に愛されるいい施設ができる。それにより、再開発の雰囲気と周囲の街がお互い滲み出していく。

周りの街との調和を考えていくことは、再開発を行う僕らの責務だと思うんです。地元の原風景や再開発の中で感じた、新しいものと古いものを調和させていくことの重要性。この仕事を通じて、改めて強く感じました。

「虎ノ門・麻布台プロジェクト」で緑地の設計と活用方法を考えています

現在は、2023年に完成予定の「虎ノ門・麻布台プロジェクト」の外構設計と完成後の利活用について検討しています。このプロジェクトは、Green&Wellnessが大きなテーマになっていて、地球の健康と、人間の健康の両方が満たされる街を作ろうとしています。

街の中にはたくさんの緑地が生まれるんですが、これをどうやって人々の生活に開いていくか。たとえば、街の中央広場には畑や果樹園ができる予定ですが、僕は畑の設計をしながら、ここでどうやってアーバン・ファーミングを行っていくのか、実際の使われ方についても考えています。

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地元の原風景を港区に重ね合わせて

東京の中心で緑が身近なライフスタイルを提案していくことの意味について、最近よく考えるんです。この虎ノ門・麻布台プロジェクトは、さまざまな人が訪れる街になる。だからこそ、いろいろな価値観の提案もできると思っています。

地元の祖父母を見ていると、自然と深くつながっているなと思うことがあって。日ごろから畑や田んぼ仕事の中で、土に触れたり、水を引いてきたりと、常に自然と関わっているので、周りの環境のことを本当によくわかっている。

たとえば雨の降り方を見て、いまどこで川が決壊しているかわかったりするんです。まさに自分という存在が拡張されて、自然と一体になっている。

そこまでいかずとも、環境問題が日々深刻さを増す中で、土いじりなどを通じて自然と触れ合うことは、とても意義深いことだと思います。土に触れることは人間の健康にもいい影響を及ぼしてくれますし、それを通じて地球の健康を少し知るきっかけにもなる。そんな風に、訪れた人の環境リテラシーを上げられるような街になったらいいなと思います。

あとは単純に、自然が身近にある生活の良さを知っているから、それを東京で実現したいという想いもあります。

東京で生活していると、地元の良かった部分を思い出すんです。みんな当たり前に野菜を育てていて、人々の生活が自然と地続きになっている。僕自身、東京のど真ん中でそんなライフスタイルを送れたらいいだろうな、って。

虎ノ門・麻布台プロジェクトの計画地はもともと急峻な谷地だったんですが、たまにこの風景が地元のすり鉢状の地形と重なって。僕の原点とも言える地元の原風景。東京の都心にトレースしながら、人々に愛されて、自分も愛することができる街を作れるよう、今の仕事をやり切りたいと思っています。

本文中写真3枚目:撮影「エスエス東京」


清水一史|Kazufumi Shimizu
2016年入社。福井県敦賀市出身。新卒で設計部外構担当に配属されて以降、同所属。既存物件の外構・土木改修や、虎ノ門ヒルズ ビジネスタワーの外構・土木設計を担当。現在は、タウンマネジメント事業部パークマネジメント推進部を兼務し、”虎ノ門・麻布台プロジェクトの外構設計と運営企画に携わる。

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