虎ノ門横丁の番頭の仕事。街に集まる店を繋ぎ、共に育む「食の場」づくり
今回お話しを伺うのは、2020年6月11日に誕生した「虎ノ門横丁」の番頭・佐藤整貴さん。
人と人が繋がり、活力が生まれ、成長し続ける「食の場」をつくるために、佐藤さんはどのような姿勢で仕事に取り組んできたのでしょうか?
お店を営むからこそ見えてくるもの。今も生かされる子どものころの経験
私の実家は、私が10代のころから飲食店を営んでいます。日々、その仕事ぶりを見て、「外食の世界」を身近に感じながら育ってきました。そして、このときの経験を社会に出た際にも活かしていきたいと感じていました。
私が森ビルに興味を持ったきっかけも、実家に関係する店舗が西新橋にあったことが大きな理由でした。そのお店の手伝いを通じて、西新橋~虎ノ門エリアの森ビルのテナントオフィスに伺うことが多く、その流れで森ビルという会社を知りました。その後の学生時代には、赤坂ツインタワーやアークヒルズが出来上がっていく様子を見ていて、「この会社なら前例にとらわれず面白いことができるんじゃないか」と感じ、森ビルへの入社を決めました。
とはいえ、最初から飲食に関わる仕事だったわけではなく、入社から8年ほどはマーケッターとして不動産(オフィス)市場の調査や商品企画を担当していました。そして、現在の仕事に移ったきっかけとなったのが、森ビルの入居テナントに対する「外食」に関する調査でした。街づくりやテナント入れ替え時の参考にするため、入居するオフィステナントを回り、オフィスワーカーの昼食事情について聞き取り調査を実施。インタビューを通じ、街づくりにおける店舗、特に飲食店の重要性を感じ、自身の経験をうまく活かしていきたいと思う気持ちに改めて気づきました。
そして1998年、お台場にあったヴィーナスフォートやアークヒルズで商業企画の仕事を担当するようになりました。その後、ヒルズにお店を構える飲食店に深く関わっていくようになっていったのです。
そこから現在に至るまで、あらゆる場面において実家が営む飲食店を手伝ってきた、子どもの頃の経験が活かされていると感じます。仕込みや店内の清掃、お客様や年上のスタッフとのコミュニケーションなどなど……。それらを子どものころに経験したことで、お店やお客様のことを考えることが私にとって生活の一部となり、外食に携わる者としての視点の土台となっていった。今振り返るとそう感じてなりません。
各テナントとの信頼関係を築くためには、これまでの知識や経験に頼らずに自ら考えて行動しなければならない場面も多々ありました。たとえば、ある老舗日本料理店を担当していた時のことです。いつも通りの姿勢でコミュニケーションを取っていたのですが、当初お店の方からは、「いかにもお役所仕事をする人」という印象を持たれてしまい、店主やお店のスタッフの方々との距離を縮められずにいました。そしてこの状況を打開するために私がやったことは、「とにかく会いにいく」ということでした。
書類を届けることを口実にお店まで出向き、あわせて何かひとつでも質問をしていく。それを毎日のように繰り返した結果、半年ほど経ったとき「森ビルさん」から「森ビルの佐藤さん」へと呼び名が変わったのです。「たかが名前」と思うかもしれませんが、私にとってはいままでの苦労が報われたような気持ちにさえなりましたし、「信頼を勝ち取る一番早い方法はこれだ」という、確かな自信に変わりました。
虎ノ門横丁の「番頭」として見えてきたもの
2020年当時の私は、アークヒルズの商業施設部分の運営を担当していましたが、同じ商業施設事業部内の別のチームでは、虎ノ門ヒルズ ビジネスタワー内の新たな飲食施設の開業準備が慌ただしく進められていました。そのコンセプトが面白くて、「人と人、人と店、店と店がつながることができる横丁」というスタイルをとっているというのです。同じ事業部内でこのプロジェクトを担当する同僚からは「つながりを深めるために、いわゆる『女将さん』のようなマネージャーを入れたい」という話も聞いていて、私もどうなるのだろうとワクワクしていました。
そんな矢先、「虎ノ門横丁でマネージャーをやってくれないか」と私に声がかかったのです。施設はすでに出来上がり、店舗の誘致も終了した2月のことでした。まさか自分に話が来るとは思ってもいませんでしたし、戸惑いもありましたが、「これまでたくさんの経験をした私だからこそできるはず」と腹をくくり、受けることを決めました。
話を引き受けてまず問題になったのは、私の役割をあらわす名前でした。男性なので「女将」ではないですし、いまさら「横丁の運営マネージャー」と名乗るのも違和感があります。そこで採用されたのが、「番頭」という肩書きでした。
番頭に就任したのは開業を数ヶ月後に控えたタイミング。短期間でテナントのみなさんとの距離を縮めて、信頼していただく必要がありました。そうとなったら、もう毎日会いにいくしかありませんよね。とにかく全てのお店に顔を出して、ご飯を食べたり、時には膝を突き合わせて語り合ったりして、可能な限りたくさんのコミュニケーションを取りました。コロナ禍が始まったばかりで、その対応に追われて大変な時期でしたが、「横丁のみんなで乗り越えよう」という結束力も生まれたと思います。
そして、2020年6月に虎ノ門横丁を開業することができました。開業後も足しげく各店に通い、何か困ったことがあればできるだけその場で解決していくようにしていきました。もちろん交渉ごともあるので、大変だなと思うこともありました。しかし、お店のみなさんの前でそんな暗い気持ちを顔に出すわけにはいきません。「番頭の名を背負っているからこそ、頼れる存在になりたい」と、自分自身を奮い立たせて、日々、虎ノ門横丁に足を踏みいれていました。
それからまもなく3年が経とうとしてます。今の虎ノ門横丁には、ほかの施設では見たことのないような、お店とお店の間の強いつながりがあります。食材や飲料の貸し借りもあり、まるで江戸時代の長屋文化のよう。みなさん本当に仲が良く、健全な関係ができているんだなと感じられる光景を見ながら、毎日うれしく感じています。
お店同士の仲の良さは、さまざまな方面にいい影響を与えています。たとえば、先日POPUPレストラン(※)がオープンした時のこと。出店いただいたお店の方に感想を伺ったところ、「ここに入られているお店の方も、来る人も、いい人ばかりですね」と言ってくださったのです。詳しく聞いてみると、行列が出来た際に「大変だったらうちの店の前を行列整理に使っていいよ」と周りのお店のみなさんが声をかけてくださっていたそう。それを聞いて、とても誇らしい気持ちになりました。お客様も安心でき、優しい気持ちでいられたのは、それぞれのお店が「互いに助け合う」マインドがあったからこそだと思えたからです。
虎ノ門横丁をコーディネートしてくださったタベアルキストのマッキー牧元さんは、こんなことをおっしゃっていました。「いい店とは、いい人がいるところである」。これは、飲食の現場を間近で見ているからこその言葉だと思います。
その言葉や、虎ノ門横丁の番頭という仕事を通して、飲食業の現場に立つことが私の原点であり、使命なのだと強く感じています。
この街に来ると元気になる。虎ノ門をそんな場へと発展させていきたい
今年の秋には「虎ノ門ヒルズ ステーションタワー」が開業します。森タワー、ビジネスタワー、レジデンシャルタワーが完成し、さらにステーションタワーへとバトンがつながっていく。開業後は、4棟が連携してますます街に広がりが生まれ、周辺の飲食店の変化も加速していくことでしょう。今後もさまざまな施設が一体となりながら、街全体で虎ノ門を盛り上げていきたい。「ここで食事すると元気になる」、そんな街にしていきたいですね。
街が広がっていくという意味では新たな番頭や女将のような存在も求められることでしょう。しかし、単に「虎ノ門横丁の佐藤」と同じ役割の人を作っても面白みに欠けると思っています。私の模倣をするのではなく、よりフットワーク軽く、若い目線で意見を言えて、施設や街全体を生きた空間にし、「会いたい人がいる場」にしていくことができる人が活躍してくれると頼もしいですね。
「この場所に来て、食べると元気になる。喧嘩をしていた夫婦が仲直りする。気になる人を誘って仲良くなる。そんなシーンがたくさん生まれるような場を作りたい」。これは私が六本木ヒルズの商業施設立ち上げを担当していたころ、当時の社長に伝えた言葉です。虎ノ門横丁を「磁力ある場」にし続けるために、これからも試行錯誤を続けたいですね。