人の流れを生み出す街を目指して
麻布台ヒルズの賑わいの中心「中央広場」下に位置する麻布台ヒルズ マーケット。学びや健康とともに食を通した「暮らしの豊かさ」を提案すべく、街の核施設の1つとして誕生したのが「食」のマーケットです。
出店しているのは、世界に誇る日本の食文化を麻布台から発信したい――そんな思いをともにした、日本中の食を支える一流のプレイヤーたち。
仕掛け人の一人、塚本雅則さんに、その誕生の舞台裏と、この場所に込めた想いを聞きました。
都会に憧れた幼少期
生まれ育ったのは、福井県越前市という人口8万人程の町でした。実家はそのなかでも田舎にあり、高校生になるまで信号機すらありませんでした。市内で1番高い建物は5階建ての市役所。2局しか放映されない地上波テレビで観る東京の高層ビルやファッション、料理の数々に、強い憧れを抱いていました。
テレビで観る東京は人が大勢歩いているのに、なぜ福井の街には人が歩いていないのか。500m先にもみな車に乗って移動するんです。人の気配の薄さに、寂しさを感じていました。「人の流れを生み出せるような、賑わいのある街をつくってみたい」 それで、大学で建築、大学院では都市計画を学びました。
卒業後は、商業ビルを中心に、プランニングから店舗リーシング、店舗の内装設計・施工までトータルで行う都市開発の会社に就職しました。そこでは店舗が開業していくまでのフローを一貫して学ぶことができました。でも建物が建ち、店舗がオープンしたら仕事は終わり。物足りなさを感じたんですよね。本当は建物が完成してからがスタートなのに、と。
そんなとき、故・森稔会長が出演されていたテレビ番組を拝見して。「街の流れが竜巻のようになった。表参道ヒルズで街も通りもこんなに変わった」この言葉に身震いがし、胸がときめきました。まさに自分が追い求めていたのはこの会社だと。こんな風に街づくりに携わってみたい。つくるだけでなく、育ててみたい。その放映がきっかけとなり、森ビルに転職しました。
入社後は、幸運にも希望していた六本木ヒルズのリーシングオペレーション部隊に配属されました。その後上海に赴任し、上海環球金融中心で約40店舗のリーシングや、海外開発案件のコンサル業務も担当。帰国後は、虎ノ門ヒルズ ビジネスタワー「虎ノ門横丁」の開業立上げ業務に携わることになりました。
人の流れを変える街づくり
虎ノ門ヒルズ ビジネスタワー立上げ時の商業のミッションは明確でした。段階的に開業する虎ノ門ヒルズで、レジデンシャルタワー、ステーションタワーが開業する2023年まで、森タワーとビジネスタワー2棟の商業で集客をすること。まだまだビジネスの街だった当時の虎ノ門エリアに、どうすれば週末も人が集うようになるのか。
その起爆剤として計画されたのが「虎ノ門横丁」でした。「東京の名だたる名店」が一堂に集い、この場所が食のデスティネーションとなれば、食を目的に虎ノ門を訪れる人が増えるのではないか。プロデューサーとして携わっていただいたウェルカムの横川正紀さん、タベアルキストのマッキー牧元さんらと共に日本中の名店を食べ歩き、その方々に、「食で人の流れを変える街を虎ノ門に創りたい」「力を貸して欲しい」と口説きました。
名店の方々も、虎ノ門エリアの未来像と、虎ノ門の街を変えようとする私達の想いに共感してくれました。徹底してつくりこんだビルの中の「新しい横丁」で、日本中の名店の料理をつまむことができる。開業後は、週末にも食を目的に訪れるお客様、特に今まで虎ノ門エリアでは見なかったようなハイヒールを履いた女性のお客様など、幅広いお客様にお越し頂けるようになりました。
外食業界を牽引する多くの方と知り合い、外食の世界の面白さにどっぷり漬かり始めた頃、麻布台ヒルズの食品館として動き出していた「麻布台ヒルズ マーケット」運営室に異動することになります。
34の専門店との出会い
Green&Wellnessをコンセプトに据えた麻布台ヒルズでは、心身の豊かさの要となる「食のマーケット」をプロジェクトの核施設に据えること、街の中でも特に交通量が多い場所に配置することが開発の早い段階で決まっていました。
かつて六本木ヒルズが、タワーの最高層に美術館を配し、街中にパブリックアートを散りばめて、夜の街だった六本木を「文化都心」に変えていったように。麻布台ヒルズでは、麻布台ヒルズマーケットが”食”の中心になり、麻布台ヒルズから”食文化”を発信していくんだ、という強いメッセージを感じました。
この街の台所となるようなマーケットをつくりたい。やるならば、東京で、日本で、いや世界で一番のマーケットをつくりたい。
想いは膨らむものの、森ビルには食品売場をつくった経験もなく、当時は様々な方法を模索していました。国内外の百貨店やスーパーの誘致や協業を図ったり、百貨店に出店する専門店へヒアリングをしたり。
一般的な不動産業であれば、百貨店やスーパーを誘致すればおおよそ施設としての目途がつきます。既に顧客が付いているお店がテナントとして入れば、つくる前から採算も読めます。でもその先に、世界一のマーケットが育つイメージが持てなかった。だったらその想いに共感してくれるパートナーを自分たちで探そう。一番大変なスキームになるけどチャレンジしよう、と。
虎ノ門横丁のときの繋がりや、ヒルズに出店頂いているオーナーやシェフに相談して回っていると、鮨さいとうの斎藤さんから「日本一の魚売り場をつくりたいなら、やま幸の山口さんしかいないよ」と言われました。我々はやま幸さんの存在を全く知らなかった。それもそのはず、やま幸さんは鮨屋や料亭などのプロを相手にする、鮮魚の仲卸店だったのです。
数日後、私達は豊洲市場にいました。素人がみても、質の高いマグロはほぼやま幸さんが競り落としていると分かりました。競り落としたマグロを山口さんがさばいていると、有名な鮨職人が次々に現れる。山口さんがそれぞれの店や料理に合う部位を見極め休むことなく卸していく。圧巻でした。よい食材はこうやって流通していくのか。本当に質の高い品物は、消費者が日常的に買い物に訪れるスーパーには出回らない。つまり、日本一の食材を並べるマーケットをつくりたいなら、流通のフローそのものに入り込んでいく必要があるとわかったのです。
魚だけでなく、牛、豚、鳥、野菜、それぞれの流通経路をチームメンバーで徹底的に調べました。一方で忙しい都市生活者を支えるマーケットをつくるべく、作り立てを提供できるバイオーダーの総菜や、手軽さがありながらそれぞれの家庭の味にフィットさせられる半調理品も調べ、店舗に足を運び、とにかく皆で食べ比べました。
「世界に誇れる次世代型のマーケットをつくりましょう。一緒にチャレンジしましょう。時間もかかります。でも日本の食文化や都市生活の豊かさを、育て、発信していきたいんです」。
各お店の商品をとことん食べたこと。どの商品を素晴らしいと感じたのか、なぜ出店してほしいと思ったのか。一店一店、ひとりひとりのオーナーさんに我々の想いを伝えました。そのなかで意気投合していった相手は、日本の食文化や産業の未来に課題感を持たれている方ばかりでした。「年中同じ商品が並び、旬や天然の味を知らない人が増えている」「農家や職人、生産者がどんどん減っていく」「日本の食文化を守り育てていくために、いま動き出さなくては」--。
事業性や条件よりも、目指す未来を語り合う。一般的なリーシングではないですよね。でもこの時間を経たからこそ、マーケットの想いに賛同し、日本の食文化を真剣に思い、ワンチームとなってくださる34店舗が揃ったのだと思います。
世界一の食品売り場を目指す挑戦
2024年3月13日、麻布台ヒルズ マーケット開業。前職を含め多くの施設のオープンに立ち会いましたが、こんなに達成感のない開業日はなかったと思います。本当に直前まで多くの課題に直面して試行錯誤を繰り返していて、そしてまたここからが勝負の始まりだと思うと…。
我々だけでなく、出店いただく店舗でも、最後の最後まで試行錯誤が続いていました。何が起きるか分からない。けれど想いは一つだったので、もう信じるしかないですよね。それだけの実力と素晴らしい食材・商品をお持ちの方々だと分かっていたので、絶対大丈夫、そう思っていました。
開業して半年。今も私は現場を走り回り、マーケットの出口に設置した「改善箱」には、日々多くのお客様から麻布台ヒルズ マーケットに求める声が届いています。
麻布台ヒルズマーケットが街の方々から愛され、日常を支える台所になり、食好きが自然と集まってくる磁力をもった場所にしたい。そして、日本の食文化を発信し、街のコンセプトを体現し引っ張り上げ「人の流れを変える竜巻」のような場所にしていきたい。
まだまだ、マーケットが目指す理想にはたどり着いていない。でもこのメンバーならきっとやれる。そう思っています。