先人の絆あってこその街づくり。若きフットボーラーは信頼のボールを繋ぐ
学生時代は体育会のアメフトに没頭し、全国優勝を本気で目指してきた永井大輔さん。就職先に悩んだ末、永井さんが選んだのは「都市開発」の会社でした。
「役割や個性の異なるメンバーで勝利というひとつの目標に全力で向かっていくアメフトの面白さと、様々な立場の人達とひとつの街を一緒につくっていく森ビルの街づくりの面白さはよく似ている」と永井さんは言います。
35年という歳月をかけて開業した麻布台ヒルズの開発チームに所属する永井さんに、都市づくりの面白さについて聞きました。
父の姿、本気で打ち込んだアメフトから繋がった都市開発の仕事
就職活動を始めるにあたって、まず思い浮かんだのはディベロッパーに勤めていた父の姿でした。休みの日に父が開発に関わった施設に連れていってもらうと、その街のことを本当に楽しそうに解説してくれて。仕事の愚痴も言わない人だったので、あんな大人になりたいなという憧れがありました。
大学では、体育会のアメリカンフットボール部に所属していました。アメフトは組織のスポーツです。指揮官役のクォーターバック、縁の下の力持ちであるラインズマン、ボールを運ぶスキルポジション、それぞれに役割がありながら全員が同じ意志をもって勝利を目指す。そんなところに面白さを感じていたので、仕事でも同じようにチームワークを発揮しながら取り組みたいなと思いました。そこに父の姿が重なって、様々な人達がチームになり、ひとつのエリアや建物を開発していくディベロッパーの仕事に魅力を感じるようになったんです。
当時はアメフト中心の生活でインターンなどには参加できず、OBの先輩方を頼りにディベロッパー社員の話を聞いて周りました。ただ、森ビルの社員にはなかなかたどり着けず…就活イベントの座談会に参加したり、森ビルが開発した街を実際に歩いたりしながら、情報を集めたことを覚えています。
そうやって少しずつ森ビルのことを知っていくなかで、次第に「森ビルは他のディベロッパーとは一線を画す街づくりをしているんじゃないか」と感じるようになりました。他のディベロッパーは、ビル単体という「点」をつくっているような印象もありましたが、森ビルは「面」で開発している、大きな「街」をつくっていると感じました。例えば六本木ヒルズには毛利庭園という緑豊かな場所があり、訪れた人達が思い思いにくつろいでいます。その人達の何気ない様子が印象的で、都市の「余白」のように感じられました。そんなシーンを目にして、私もこんな街づくりに参加したいと思うようになったんです。(企業研究を進める中で、私が感じた街の“余白”は「立体緑園都市」という高層都市が生んだオープンスペースだったと知りました。)
他社の面接では緊張して話せずじまいなことも多かったのですが、森ビルの面接はなぜか自然体で話すことができました。雑談のような話も多かった気がします。面接官の社員もありのままの私を見ようとしてくれていたのだと思いますし、私自身も、この会社では自分らしく働けそうだという予感を感じられたのかもしれません。
街をつくる一員として
森ビルでは、新人社員の多くがコーポレート部門や事務部門に配属され、広く会社を「見る・知る・学ぶ」ための期間を過ごすことになります。私が配属されたのは、建物環境開発事業部という部署の業務推進部という事務部門でした。縁の下の力持ち…になれたかはわかりませんが、部署の業務が上手く回るよう、総務や経理など様々な業務を担当することができたのは、とてもよい経験でした。
3年目からは現在も所属する都市開発本部に異動し、麻布台ヒルズのプロジェクトに携わることになりました。業務の半分は、権利者の方々や森ビルで構成される「再開発組合」の事務局として、行政手続きや、理事会や総会の運営をすること。もう半分は、先輩とペアを組んで権利者の方の担当窓口となり、日々コミュニケーションを重ねながら再開発物件の引渡しまで伴走することです。
異動直後の2021年はコロナ禍の真っ只中。権利者の皆さんとのやり取りも、電話やメールでしかできませんでした。権利者の方から相談ごとがあるとき、はじめのうちは、当然付き合いの長い先輩宛に連絡がきます。その後、少しずつ面会が可能になり、直接お会いできるようになってくると、ある日を境に、私宛に連絡がくるようになりました。些細なことかもしれませんが、私を街づくりの一員として認めていただいたようで、とても嬉しく感じました。
麻布台ヒルズの開発には、35年の歳月がかかりました。その間、立場や事情の異なる300人を超える権利者の方と粘り強く議論を重ねながら進めてきた。これは並大抵のことではないと思います。
麻布台ヒルズの隣に、西久保八幡神社という地域の氏神様があり、氏子12町会が一緒になって「神幸祭」という歴史あるお祭りを開催しています。ある日、先輩から「永井、人と話すの好きだし実行委員やるか?」と声を掛けられ、準備段階から参加させてもらうことになりました。御神輿のルートや組織体制、神社境内で開催される盆踊りや、模擬店の運営などについて、開催の半年前から毎月集まって話をし、会合が終わったら飲みにも行きました。
両親以上に年齢が離れた町会長や地元の方から、様々な話を聞き、私の話も聞いてもらう。30年を超える時間の中で、先輩方それぞれにこんなシーンがあったんだろうと思います。そうやって地元の方と関係を築き、地域の文化を守りながら共に開発を進めてきた。先人が繋いできてくれたバトンが今、自分に回ってきている。そのバトンを落とすわけにはいかないなと思うんです。
先人が築いてきた「信頼」を次は自分が受け継ぐ
就職先を選ぶとき、文系でも形の残るモノづくりに携われることも、ディベロッパーの魅力だと感じました。当時は漠然とした思いでしたが、そのモノが人の人生にどんな影響を与えるのか。実際に街の方ひとりひとりの顔を見て関わる中で、より具体的に感じられるようになりました。
私はきっと、誰かと関係性を構築して、さらにそこから深めていくことが好きなんだと思います。何かを共に進めるならば、互いに顔が見えることを大事にしたいですし、人と真面目に愚直にじっくり向き合いたい。それは私が思う「森ビルらしさ」でもあります。
私はアメフトを通じて、ひとつの目標に全員で懸命に取り組むことの楽しさを知りました。スポーツが一人ではできないように、街づくりも本当に多くの人が長い時間をかけて取組んでいます。だからこそ、「自分は長い時間の軸の上に立っている」ということを日々忘れないでいたい。先人の方々が繋いできたボールを、今度は自分が大切に受け継いでいきたいです。