街づくりはまるでRPG! TOKYO NODE 企画担当者が歩む仕事道
この街で、都市の物語を紡ぎたい。
新領域事業部に所属する井上紗彩さんはそんな想いを抱き、地道に、そして大胆に、新たなイベントや施設の企画に携わってきました。
そんな井上さんが、15年以上のキャリアの中で育んできた、街づくりへの想いとは?
挑戦は糧になる。種をまき続けた学生時代
街づくりに明確な興味を持ったのは、高校3年生の頃で、大学進学について考えていた時期でした。ずっと文系だった私が専攻に選んだのは都市社会学。都市の変化をソフトの視点から多角的に分析し、その地で育まれた生活様式や生活構造、文化などを社会学的に見つめる学問です。
大学で都市社会学を学ぶうちに、都市への興味はどんどん膨らんでいきました。講義だけでなく、もっと実学的な学びを受けることができないかと機会を探していたところ、森ビルが開催していたアカデミーヒルズの「アーク都市塾」(※1)を知ったんです。
「アーク都市塾」は、社会人を対象としたゼミナールですが、「実践的な街づくりを学びたい!」という想いでわずかにあった学生枠に応募し、入塾することができました。授業は週に1度。講義形式だけでなく、複数のグループに分かれて演習も行われました。
その内容は、上野や銀座などの都市を題材に、どのように変えたらよりよい都市になるのかについて、リサーチを行い提案するというものでした。同じグループのメンバーには、ディベロッパーや空間デザイナーなどの不動産関連の会社員だけでなく、百貨店や飲料メーカーに勤める方などもいて、普段接することができない社会人の方々と共に課題に取り組むことで、たくさんの刺激を得られました。そのときの経験は、今の私の人生にも大きな影響を与えていると思います。
一方で、大学時代に所属していた演劇サークルでの活動も、自分がどのような立ち位置から都市づくりに関わりたいのかを考えるきっかけになりました。
当時、私はセットなどを制作する舞台美術の役割を担っていました。演劇では演出、衣装、照明、音響、俳優といった、さまざまなポジションの人たちと協働し、やりたいこと、やりたくないことを擦り合わせながら作品づくりを進めていきます。もちろん、計画通りにいかないことも多く、土壇場のアクシデントになんとか対応するというシーンも多々ありました。そういった経験も含めて、「関わる人たちが活躍できる舞台を用意すること」にやりがいと面白さを感じたんです。
他にも、学生時代は興味の向くものに積極的に挑戦していました。商店街の活性化のためにカフェを運営してみたり、時間を見つけてはヨーロッパ各国を旅行したり。さまざまな都市の街並みに触れながら、「家のインテリアのように、街並みも心地よい空間として楽しめるものであってもいいんじゃないか」と、都市景観についても深く考えるようになりました。
そんな学生時代の経験から、社会に出てからも都市づくりに関わりたいと感じるようになりました。そうして、民間でありながら、都市づくりにとことん真摯に向き合い、行政とも積極的に連携を図りながら魅力ある都市づくりを進める森ビルの姿勢に共感し、就職を決めました。
まだ見ぬ文化をつくっていく。アートナイト、アンカースターでの経験
入社後も、学生時代から大切にしていた「積極的に挑戦する姿勢」を持ち続けようと心掛けてきました。さまざまなプロジェクトに携わりましたが、特に私の成長に欠かせなかった仕事が、六本木アートナイトのプログラム企画制作と、アンカースター株式会社への出向でした。
六本木アートナイト
入社して2年目の2009年、私が所属していたタウンマネジメント事業部では、今や六本木の風物詩である六本木アートナイトの初年度の年。イベント初開催に向け大忙しでした。
六本木ヒルズやその中にある森美術館だけでなく、国立新美術館や、東京ミッドタウン、サントリー美術館、21_21 DESIGN SIGHT、そして六本木商店街や街のギャラリーなどが連携し、美術館を飛び出て街中にアート作品が展示されるという前代未聞のアートイベントを成功させるべく、森ビル社員も日夜準備に勤しんでいたのです。
私自身も、森美術館や実行委員会の方々とアーティストや作品について議論し、招いたアーティストと街を巡りながらアイデア出しを行い、実現のために必要なもの、照明や運営の仕方、体験型のアートであればオペレーションを考え、さらに当日に向けた設営スケジュールや予算管理と、アートイベントを実現させるためのサポートを手広く行っていきました。
なかでも、初年度にメインゲストとして参加していただいた、ヤノベケンジさんとのやりとりはとても印象的でした。展示した作品は、『ジャイアント・トらやん』という、体長7.2mもある火を噴くロボット。それが六本木ヒルズアリーナに動きながら展示されたのです。打ち合わせの際に「自分の原風景に、子どもの頃に見た大阪万博が終わった後の瓦礫の山があるんです。それが、原発事故後のチェルノブイリに行ったときに見た風景と重なって。『ジャイアント・トらやん』の姿は、そのときに着ていった自作の放射線を感知する服からきているんですよ」など、作品にまつわるストーリーを熱く語ってくださって、人生をかけてアートに向き合っている方から直接話を聞けて、一緒に仕事ができるなんて、本当にすごいことだなと思いました。
そして当日。一夜限りのイベントですから、トラブルの対応のために一晩中奔走していましたが、深夜になってふと街を見渡すと、アートナイトを目指してきた人たちだけで街が埋め尽くされている光景が目に飛び込んできました。そこには不思議と文化祭のような一体感が生まれていて、「私たちの街なんだ」という特別感を感じさせてくれました。心が満ち足りるような、嬉しく楽しい瞬間でした。
アンカースター
入社10年目には、当時、海外企業の日本進出支援を目的に設立されたアンカースター株式会社に出向し、コワーキングスペースの立ち上げに加わることになりました。Facebook Japan 初代代表の児玉太郎さんが代表を務める、起業して間もないベンチャー企業ですから、当然森ビルと企業文化は異なり、初めは驚くことも多々ありました。
何に対しても自ら動き、新しいビジネスとコミュニティスペースの立ち上げに尽力する児玉さんのもとで働くうちに、「サービスを提供する側」と「享受する側」という垣根を取っ払い、より人に寄り添ったコミュニケーションを行うことが重要ということに気づかされました。日本に拠点を持ちたいと考える海外の方々にとって、安心できる空間を目指して、ラウンジに置くお菓子を海外で親しまれているものにしたり、フレンドリーなバイリンガルのスタッフに入っていただいたりと、ちょっとした生活の困り事も相談できるような雰囲気づくりをしていきました。
そしてもうひとつ、アンカースター出向時代に情熱を注いだプロジェクトがあります。それがTokyo Mural(壁画) Projectです。
児玉さんが以前いらしたFacebookに倣い、アンカースターのコワーキングスペースにもMuralが描かれていました。そのアーティストの方から「日本では壁画の規制が厳しいので、室内にしか描いていません。基本的に海外のイベントに呼ばれないと外壁に大きな絵を描くことはできないんです」という話を聞いたことがこのプロジェクトのきっかけでした。
アンカースターのビルは、新しくできた新虎通りに対して、窓の少ない建物の裏側が面しています。まさにアートにぴったりのキャンバスではありませんか。「日本のアーティストが日本では壁画を描けないなんて、もったいない」。そんな児玉さんの発案で、Tokyo Mural Projectが立ち上がりました。
私自身も、この企画に大きな可能性を感じました。きっと六本木アートナイトの経験から、街の外にアートがあることで街と人との新たな関係性を生み出せたこと、ひいては学生時代から都市景観に興味があったことが、私の情熱に火をつけました。乗り越えるべきハードルが多いプロジェクトでしたが、自ら立候補して主体的に企画を推し進め、実現に結びつけることができました。プロジェクトを通して、アートは利害が生じないからこそ、純粋な思いのもとでみんなが協力し合うことができる。ひとつになりやすい媒体だと気づきました。
虎ノ門に誕生する、最先端に出会えるTOKYO NODE
2年間の出向を経て、2018年に森ビル本社に戻った私は、計画推進部でステーションタワー内の施設TOKYO NODEの計画に携わることになりました。
その当時はまだ名前がなく「情報発信拠点」と呼ばれ、具体的に何をしていく場所になるのか、色々な選択肢にあふれていました。その中で、世の中のトレンドやこれまで森ビルがやってきたこと、そして私たち自身が何をやっていきたいかを照らし合わせていくうちに、「東京・虎ノ門には、新しいビジネスを世界に向けて発信できる施設が必要だ」という話に進んでいったのです。新しいビジネスを加速させるためには、テック産業やテクノロジーの文脈を結びつけることは欠かせません。
そこで世界中からさまざまな事例を集めていきました。そのうちのひとつが、オーストリアのリンツにあるメディアアートの美術館、アルスエレクトロニカ・センターでした。そこではアート作品の展示だけでなく、研究施設で企業とアーティストが協働しながら、新しい技術の発展や技術をより実践に近い形にしていくための研究がされています。そういったことをこの拠点でもやっていけたらと思い、発案していきました。
さらにその後も施設の方向性を定めるべく、さまざまな角度からリサーチを重ねました。たとえば、こういうカンファレンスをやっていくべきとか、学校をやってもいいんじゃないかとか、イベント・展示施設と研究施設の組織的な体制や収益バランス、具体的なコンテンツなど。それを社内で共有しながら、施設や組織、プログラムのイメージを固めていきました。1,000本ノックじゃないですが、毎回企画書に資料をいっぱい載せていましたね。
それから間も無くして、私は1年間の育休をいただきましたが、その間にパートナー企業などが決定。長年チームで検討を重ねていた計画がいよいよ走り出したのだと、とても嬉しく思ったことを覚えています。
TOKYO NODEは、ビジネスだけでなく、アート、テクノロジー、エンターテイメントといったひとつのジャンルに閉じない、複合的な発信施設です。「まだ見ぬものを実現したい」という気持ちにさせることはすごく難しい作業で、磁力をゼロからつくっていくようなもの。みんなで協力しなければ進めることができないことだからこそ、自分のやりたいイメージを他者に伝えることは、難しくても根気よく続けていく必要があると思っています。
その過程がおもしろい。「RPG目線」を楽しんで
私にとって仕事とは、壮大なフィールドを冒険しながらクエストをこなし、仲間と一緒に成長していく、ロールプレイングゲーム(RPG)のようなものだと感じています。
仲間を見つけて、協力しながら苦難を乗り越え、物語を紡いでいく。立ち止まっているように思うことがあっても前進しているし、色々な人が関わることで、プロジェクトがみんなのものになっていく。私の意図だけでなく、チームのメンバーや協力会社の方々のアイデアが加わり、全体としてとてもいいものに仕上がることが、一番楽しく、嬉しいのです。
今年、虎ノ門ヒルズにステーションタワーが完成し、TOKYO NODEがオープンすることで、訪れる人が変わり、街のあり方も時間をかけて変わっていくでしょう。しかし都市の変化を進めていくことは、森ビルの力だけでは難しいことです。森ビルが旗を立て、街のカラーが見えてきて、「そういう街になっていくんだな」と周囲が認識することで、いろんな人が参加してきてくれる。そこから初めて街は変わっていくと思うんです。これからも、そのきっかけをつくっていけたら嬉しいですね。