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憧れの広報室に飛び込んで。試行錯誤の先で得たもの

人に“伝えること”が好き。幼い頃アメリカで感じた想いを持ち続け、現在は広報室に所属する浅野小織さん。第一志望の会社に入社し、学生の頃から希望していた部署に配属され、やりたい仕事に夢中で取り組んでいる。順風満帆に見えるキャリアですが、自信を持てるようになるまでには、少々時間がかかったと言います。
 
好きなのにできない、理想通りにいかない。トライ&エラーを繰り返しながらがむしゃらに走り続けた、奮闘の日々と歩みを聞きました。

浅野小織|Saori Asano
2017年森ビル入社。大学では西洋外交史のゼミに所属しながら「伝える」ことに興味を持ち、卒業論文ではプロパガンダをテーマに研究。入社後の初期配属は用地企画部。開発のための土地や建物の売買を担当した。2019年広報室へ異動。報道対応や採用広報、子供たちと都市づくりを考える街育等を経験。報道対応では、ヴィーナスフォートのクローズや六本木ヒルズ20年、麻布台ヒルズ開業等に携わった。


自分の“好き”が広まっていくこと

3歳から10歳まで、アメリカに住んでいました。現地の小学校では自国の文化や歴史を発表する機会が多くあり、日本のことを話すと「そんな文化があるんだ!」「面白い国だね!」とみんなが興味を持ってくれたのがとても嬉しくて。幼心に、自分の好きなものの良さを誰かに伝える喜びを感じていました。
 
大学の卒業論文では、プロパガンダをテーマに研究しました。“伝える”ということが、私の人生で大切なキーワードだったんだと思います。就職活動でも、「伝える」を軸に職種や会社選びをしていました。では、私は“何を”伝えたいのか――。思い出したのは、幼い頃のアメリカでの経験でした。私の発表がきっかけで、地球の反対側の行ったこともない国に興味を持ってくれた不思議さ。自分の興味が誰かに伝播していく喜び。それがきっかけで日本へ留学した友達がいたことも嬉しかった。そんなことを考えていたとき、サークルの先輩から森ビルのことを聞きました。
 
森ビルという会社は、東京を世界一の都市にするという目標を明確に持っていること。そしてその目標実現のため、挑戦を恐れず、本気で街づくりに取り組んでいること。

それまでは、何かの良さを伝えたいなら広告代理店だと思い込んでいました。でも、東京の良さをさらに磨き、上を目指そうという想いで都市づくりに取り組んでいる会社に身を置いたら、より実感をもってその良さが伝えられるのではないだろうか。東京の良さは目に見えるものだけではない。洗練された空気感、おもてなしの心持ち、多様な人々が行き交う新鮮さ…五感で感じる魅力がたくさん詰まっています。それを伝えてみたい。そんな会社の一員として、できるなら広報という立場で、東京の魅力を伝える仕事をしてみたい。面接ではその想いをありのまま話し、入社が決まりました。

もがきながら、試行錯誤しながら

最初に配属されたのは、開発のための土地や建物の売買を担当する用地企画部という部署でした。
 
森ビルの街づくりの特徴の一つは、地域に住まわれてきた方々との「共同開発である」ということです。民間初の大規模再開発と言われたアークヒルズの開発では、地域の子供たちに向けて社員がそろばん教室を開き、社員が開発エリアに住んで日常的に顔を合わせながら、地元の方と信頼関係を築くことで再開発を進めてきました。社内にはそんな風土が根付いていますから、社員が地域の祭礼や街のゴミ拾いに参加したり、雪が降れば開発エリアの雪かきをしたりといった活動が自然に行われていました。私も開発担当の社員について回ったり、雪かきなど街の活動に携わったりすことで、外から見て抱いていた「最先端」「きらびやか」といったヒルズのイメージは表層的なものに過ぎず、その先には人と人のつながりがあるんだ、街には人の体温があるんだ、という感覚を学びました。

そして入社3年目を迎えた春、念願叶って広報室に配属となりました。担当業務は、学生の頃から希望していた報道対応です。喜んだのも束の間、これが思った以上に難しく、なかなかコツがつかめません。テレビ局や新聞社と相対して、自社の情報を発信する。そう聞くと華やかなイメージもありますが、実際にやってみると想像以上に地道な作業の積み重ねでした。自分たちが言いたいことを発信するだけではニュースにならず、世の中の時流やタイミング、また記者個別の興味関心も踏まえて、忙しい記者の呼吸を読みながらコミュニケーションする。例えば、最初の30秒で、伝えるべきメッセージをいかにキャッチーに伝え、その情報に価値を感じてもらうことができるか。頭では分かってもうまく言葉が出てこず、そんな自分がもどかしく、情けなく思いました。
 
希望の部署に来たのだから、早く成果を出したい。チームメンバーについていってはコツを学び、戦略を考えては先輩に見てもらう、そんな試行錯誤の日々が続きました。
 
転機となったのは、お台場ヴィーナスフォートの閉館でした。この報道対応を、一人ですべて任せてもらえることになったんです。「閉館」というと一見マイナスな響きにも聞こえますが、永続的に続く街の営みの中では、未来に向けたスタートともいえます。これまでの歩みと成果を丁寧に振り返り、この街の第2章の幕開けを伝えるものにしたい。そんな目標を胸に、まずは当時を知る方や歴代の担当者に話を聞くことから始まりました。

2021年、ヴィーナスフォート閉館直前の臨界副都心エリア

バブルが崩壊し、大型計画が中止になった臨海副都心エリアに誕生したパレットタウン。当時はりんかい線全線開通前で鉄道はゆりかもめ頼み、集客力があるとは言えない未開のエリアの、その一角に開業したのがヴィーナスフォートです。「徹底的に差別化を図らないと、足を運んでもらえない」。そんな危機感から、ヴィーナスフォートはそれまでになかった様々な「非日常体験」を導入します。
 
中世ヨーロッパの街並みを再現した館内デザイン、昼~夕焼け~夜~朝焼けと変化する照明、動くインフォメーション機能を果たす「アテンダントクルー」、ペットもお客様として扱い、1階の全フロアをペット歩行可にする…。モノ消費からコト消費への先駆けとなるそれらの取り組みが功を奏し、施設は予想を上回る来場者を記録。さらに周辺の開発にも弾みをつけ、臨海副都心エリアは一大観光スポットになっていったこと――私の中でヴィーナスフォートの歩みが確かな輪郭をもって浮かび上がってきました。
 
その一方で、テレビ局や新聞社の記者に会いに行き、打ち出すストーリーの感触や要望を聞いて回り、それらを突き合わせて取材メニューを整理し、再度記者に提案していきました。そして、この時初めて「情報や関わる人の想いのピースを集めて、そこにあるストーリーを浮かび上がらせるとはこういうことなんだ」という感覚をつかむことができたんです。
 
地道に声を聞いて積み上げたストーリーは強固で、臨場感や納得感もあります。この発信は記者の方にも大きな関心をもっていただけ、報道されたニュースや紙面を見たときは感無量でした。

2023年11月、地元の方々と35年かけて取り組んできた「麻布台ヒルズ」が開業しました。開業に向けては、会社全体が全身全霊で仕上げと準備にかかっており、私たち報道対応のチームも開業直前の内覧会や式典、開業当日のセレモニーに向け検討を繰り返していました。記者や世の中の方々に興味や期待を持ってもらうためには、何をどう伝えるべきか。デスクに座る暇もなく、まだ案内表示や店舗もない工事中の街を何度も歩き回り、皆でひざを突き合わせて議論を重ねる、文字通り目の回る忙しさでした。
 
日本一の高さのビルができるんですね。大きな街ですね――と、その規模感に注目されることも多い麻布台ヒルズですが、私が一番伝えたかったのは、むしろ細部の取り組みや、その裏側にある一人一人の想いでした。例えば、長年権利者交渉を担当した社員が大事にしていた、「信頼」を大切にする姿勢。また特徴的な見た目をもつ低層部のデザインには、「谷地形状だった地形の継承」という、従前の街に敬意を表する設計部のこだわりが詰まっています。外構の担当者が約2.4haもの緑地の創出や丁寧な管理を通じて実現したかったのは、「子供たちが自然と共に生きていることを感受する場」だったと言います。各部署の担当社員に話を聞くと、そのこだわりや愛情の深さに心を揺さぶられるんですよね。その温度をそのまま記者の方へ、そして世の中へ伝えたい、そう考えて取り組んでいました。

東京の魅力を伝えたいと思って仕事をしてきた中で、もう一つ印象深い出来事があります。開業の少し前、麻布台ヒルズの全貌を発表する記者説明会のときのことです。この説明会には、世界12カ国、29媒体以上の国際メディアが来てくださって。アジアの中の、東京という限られたエリアで取り組んでいる民間企業の一プロジェクトにもかかわらず、「自国でもニュースにする価値がある」と思って来ていただけた。それは、私にとって心から嬉しいことでした。

苦手でも、好きなら諦めなくていい

森ビルに入社したきっかけは広報への憧れでしたが、今は広報以外にも、いろいろな仕事に携わってみたいと思うようになりました。取材を通じて様々な部署の話を聞いて思うのは、都市づくりという仕事の幅の広さです。東京の良さを「伝える」だけでなく、今後はその良さを「つくる」仕事もしてみたいなという想いがあります。
 
「伝えたい」、その想いでこの会社に飛び込んで、今では充実した日々を送っていますが、実は話すことには苦手意識があって…。好きだけれど得意とはいえず、広報歴が長くなった今でも、事前準備を綿密にしないと挑めないんです。
 
それでも、もがいたり、試行錯誤を繰り返したりする中で、今こんなにも仕事に喜びややりがいを感じていて。森ビルの広報という仕事に憧れていた学生時代の私に、こう声をかけてあげたいなと思うときがあります。
 
本当に好きなことなら、得意なことじゃなくても、諦めずにその道を突き進んでいいよ。ひたむきに真摯にがんばっていれば、いつか必ず花開く日が来るから――と。


浅野さんの「都市づくりの必携品」

ノート
昔からメモ魔で、業務で必要なことや取材内容はもちろん、自分の考えやアイデア、つぶやきなど何でも書き留めています。一つひとつの点を集めておくことで、ふとした時に発信のストーリーづくりにつながることも。報道対応チームは私以外にもアナログのノート派が多く、それぞれにこだわりや癖があって面白いです。

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